おすしがだいすき

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気をつかえる自分のことが好き

上司や取引先の人とご飯を食べるときなど、「飲み物はまだ大丈夫かな」「今うまい返しができなかったかな」「お会計は誰が払うのかな。なんて声掛けるべきなのかな」と色んなことが常に気になってしまう性格で、にこにこしていても、気づけばどっと疲弊していることが多い。

気をつかう、気を回すことって疲れるな。難しいなと思う。

 

でもその思いと並行して、「気をつかえない自分が嫌い」という思いも、自分の中に根深く存在していることに気付いた。

 

私は、実家で一緒に暮らす家族の前ではまったく気をつかえず、本当に本当にひどい。

家族なんて気をつかう方がおかしいし、そんなもんだろうという気持ちもあるが、「自分のために何かしてもらったらありがとうと言う」「不機嫌でも態度に出さない」など、家から一歩出れば当たり前にこなせることをきちんと毎回できないことは本当に最低だなと思うし、思い返すだけで心がきゅっとなる。

 

友人など家族以外の親しい人の前では、家にいるときみたいな自分は絶対!と言っていいほど出さないし、上司と接するときのような疲れも、まったく感じない。

疲弊する気のつかい方、疲弊しない気のつかい方、私は両方しているのだなと思った。

(もちろん、親密度などの関係性の違いも確実に影響しているが。)

 

親しい人に対しては、傷つけないように、これからもずっと仲良くできるように、気持ちいいコミュニケーションを取りたいなという思いで接しているが、

疲弊する気のつかい方をしてしまう場面では、たぶん、「いまこの行動をしたら相手の目にどんな風に映るかな」「自分はどう評価されるかな」という思いが先行してしまっているのだと思った。

 

家族に対しては、プラスの気持ちできちんと気をつかえるようになれたらいいなと思う。

「どんな態度をとったって自分のことを好きでいてくれる」と驕ってしまうくらい、ここまで大切に育ててきてくれたことには本当に感謝をしているのだけど、だったらちゃんと恩を返そうよと、子どもすぎる自分の心に、問いかけています。

 

根本、こんな人によってはあたりまえのようにできることをある程度意識しないとできない時点で、私って全然いい人じゃないんだな。とも改めて思うのだけど。

 

きちんと気をつかえる自分のことが好き。

それ以外の自分は好きじゃない。

 

とちゃんと気づいたので、これからは「いつも好きな自分でいられるように」していけたらいいなと思っています。

できるのかな