おすしがだいすき

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文章を書くことが

 

私は、文章を書くことが好きだった。

 

小学生のとき、休み時間になるとよくひとりで物語を書いていた。

 

小学校3年生のとき、「スイーツ王国のデーラ姫」という物語をずっと書いていた。

お菓子の国のお姫様の大冒険。

なんていうありきたりな話だったけれど、自分の頭の中にある世界が形になり、キャラクターに色がつくことが楽しかった。

 

高学年になってから物語を書いたこともあったけれど、あまり楽しい学校生活ではなくなったからか、内容はどんどん暗く、現実的なものになっていった。

それでも私は、文章を書くことが好きだったと思う。

 

中学校に上がると、物語は書かなくなっていった。それでも文章を書くことは好きだったし、得意だとも少し思っていた。

 

これまでの人生のなかで、作文を書くことを億劫だと感じたことはほとんどなかった。

400字詰めの原稿用紙は、いつも2つに分けて考えていた。

200字の文章は、あっという間に書き終わる。それの2倍、すぐ書き終わる。3倍、4倍、やっぱりすぐ書き終わる。そう思っていたような気がする。

内容が良いか悪いか、上手いか下手かは全く別の話だけれど、文章を書くこと自体は苦手ではなかった。

 

たしか高校1年生のとき、学校の創立記念の出版物がつくられた。

何かで書いた私の作文を、それに載せるかもしれないと先生に言われた。

すごく嬉しかった。自分自身が認めてもらえた気がした。

 

それからしばらくして、学校でその出版物が配られた。

わたしの作文は、載っていなかった。

かわりに、別の子の作文が載っていた。

 

ああ、きっとあの後、やっぱりこっちの方がいいなと思って変えられたんだと思った。

私が期末試験で学年2位を取ったとき(人生でいちばん成績が良かった)、作文が載ったその子は1位だった。

ああ、全部負けたのね。と当時は思って、誰にも言えなかったけれど、とても悲しかった。

 

歳を重ねるごとに、自分は文章を書くのが上手ではないと思うようになった。実際、上手ではない。

下手な文章を他人に見られるのが恥ずかしい。

こいつの文章は面白くないなと思われるのが怖い。

 

だから私は、自分は書くことが得意だと思わなくなった。好んで文章を書かなくなった。

 

大学受験のとき、国語は得意だったし、なんとなく文章に関わることがしたいなという気持ちが芽生えてきて、文学部を選んだ。

 

たくさんの本を読んでいたわけではなかったけれど、物語が好き。という気持ちがまだどこかにあった。

 

大学に入って少ししてから、やっぱり物語を書きたいと思うようになった。

学生のうちに、小説を書いてみたいと思った。

何度か書き出しだけ書いてみたけれどなかなか進まず、終わりは見えなかった。

 

書きたくたって、書けないじゃないかと思った。

書きかけの文章はパソコンの奥にしまい、蓋をした。

才能がないことが悔しくて悲しくて、また文章から心が離れていった。

 

小説をまた書き始めたのは、つい最近のことだ。

なんとなく書いてみたい題材を見つけて、少しずつ少しずつ、ほとんど毎日書き続けてみた。

すごく楽しかった。

私は自分のために、やっぱり文章を書き続けたいと思った。

 

だんだんと忙しくなり小説は途中で止まってしまった。しかし、絶対に続きを書きたいと思っている。

すぐに完結するかもしれないし、しないかもしれないけれど、そんなことよりも、書くという過程を純粋に楽しんでいたいと思った。

 

言葉が好き。文章が好き。

だからこそ、素晴らしい言葉に心を動かされたとき、自分の才能のなさを痛感し落ち込んでしまう。

それでもやっぱり好きだと思うから、もう逃げられないし、逃げなくていいんだと思う。

 

 

人の数だけ物語がある。

と最近考えているので、私自身の物語を書きました。

 

ノンフィクションであっても、誰かの主観から描かれている時点で「虚構」になるのだと学んでから、自分のことを言葉にするのも少しだけ嫌じゃなくなった。

事実の羅列=真実 ではないのだと気付いた。

 

 

心をそのまま言葉にすることは不可能だから。嘘をつきたくなくても嘘をつくしかないから。だから自分の心を言葉にするのが苦手だった。

 

でも、「どうせ虚構なんだから、まあいっか。」と最近では思う。少しだけ。

 

 

そんなかんじでした。