平等とか配慮とか
浪人時代に通っていた予備校に、おそらく障害を持っていて、ずっと車椅子でいつもヘルパーさんが付いていた男の子がいた。(彼と会話したことはなく、詳しいことはわからない)
そんな彼のことを、とある先生が、ノートを取るのが遅れたら「遅いぞ」と指摘するなど他の生徒と同じように扱っていた姿が、今でも印象に残っている。
彼と先生の間に信頼関係が築かれていたことも大きいと思うが、すごく自然で、いい関係性だなと感じた。
「平等に扱う」とは、何なんだろうと考えるようになった。
彼はハンデがあるからと、多少周りより劣っていても指摘をしない。という判断も、彼のことを思った行動であると思うし、
その先生のように、彼を周りと同じように扱うことも、彼のことを思った行動であると思う。
私には障害がない。
もし自分に障害があったとしても、「障害者」としてひとまとめにして、こう接すると良い。と定義づけることは絶対にできないと思うので、彼にとって、どんな対応が心地の良いものであったのかは、きっとわからない。
むずかしい。
大学の心理学の講義のなかで、自閉症者である「東田直樹さん」が出演した番組を見たことがある。
東田さんは、普段はうまく人とコミュニケーションを取ることができない。
しかし、「キーボード」を使うことで、自らの気持ちを表現することができ、周囲の人と、何の問題もなくコミュニケーションを取ることができる。(これまで、お母さんと特訓をしてきたそうだ)
東田さんの存在を知り、自分が障害を持つ方に対して、間違った認識をしていたことに気づいた。
外から見える東田さんと、キーボードを通して内側から見る東田さんは、全くの別人であった。
そんなこと、考えたこともなかった。
恥ずかしくなった。
東田さんは現在、作家・詩人などとして活動をされている。
彼の『自閉症の僕が飛び跳ねる理由』は、すごく良かった。
たくさんの人に読んでもらえたらいいのにと感じた。
私はまだ、なんにもわからない。
わからないけれど、まずは知ること。知ろうとすること。がきっと大切なのだと、今は感じている。
東田さんのブログです。
素敵な言葉をたくさん綴られています。
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